町会長挨拶


 

麻布上笄町の皆さまへ

 

平素は麻布上笄町会にご理解ご協力をいただき

厚くお礼申し上げます。

 

このたび、皆様のご支持により前会長南雲勉様の後任として、

令和4年度から麻布上笄町会長に就任いたしました。

 

 

はなはだ未熟者ではございますが、選任されましたうえは

誠心誠意努めてまいる所存でございます。

何とぞ前任者同様、皆さまのご支援とご協力を賜りますよう

お願い申し上げます。

 

令和4年 11月吉日

 

 

 

 

 

麻布上笄町会会長 

 

石井正


麻布笄町(あざぶこうがいちょう )


明治2年(1869)、渋谷長谷寺門前(しぶやちょうこくじもんぜん)、渋谷掃除町(しぶやそうじまち)、麻布裏三軒家町(あざぶうらさんげんやちょう)、麻布桜田町飛地(あざぶさくらだちょうとびち)を併せて麻布笄町というようになり、明治5年(1872)、近隣の武家地を合併しました。

 

町名は町の近くにあった笄橋(こうがいばし)に由来します。

笄橋の由来は、「江戸砂子(えどすなご)」の伝えるところでは、天慶(てんぎょう)の乱(939)のとき、龍川(たつかわ)にさしかかった源経基(みなもとのつねもと)を、前司広雄(ぜんじひろお)というものが関所を設け阻(はば)んでいました。経基は、この時帯びていた刀の笄を証拠に与えて通過しました。のちに、この橋を笄橋と呼ぶようになりました。しかし、今はその川も橋も既にありません。

 

こうがいの語源については、国府方(こうがた)(村名、「南向茶話(なんこうちゃわ)」)、小貝(こがい)(郷名(ごうめい))又は後悔(こうかい)(以上「紫(むらさき)のひともと一本」)、香貝(こうがい)(村名)鵠居(こうがい)(以上「江戸鹿子(えどかのこ)」)、甲賀伊賀(こうがいが)(組屋敷名・「再版江戸砂子」)等の諸説があります。

 

参照URL1:港区麻布地区町名由来板

参照URL2:麻布地区の旧町名

参照URL3:麻布地区の旧町名由来一覧英語訳(Origins of the former towns’ names in the Azabu area)