町会長挨拶



麻布笄町(あざぶこうがいちょう )


明治2年(1869)、渋谷長谷寺門前(しぶやちょうこくじもんぜん)、渋谷掃除町(しぶやそうじまち)、麻布裏三軒家町(あざぶうらさんげんやちょう)、麻布桜田町飛地(あざぶさくらだちょうとびち)を併せて麻布笄町というようになり、明治5年(1872)、近隣の武家地を合併しました。

 

町名は町の近くにあった笄橋(こうがいばし)に由来します。

笄橋の由来は、「江戸砂子(えどすなご)」の伝えるところでは、天慶(てんぎょう)の乱(939)のとき、龍川(たつかわ)にさしかかった源経基(みなもとのつねもと)を、前司広雄(ぜんじひろお)というものが関所を設け阻(はば)んでいました。経基は、この時帯びていた刀の笄を証拠に与えて通過しました。のちに、この橋を笄橋と呼ぶようになりました。しかし、今はその川も橋も既にありません。

 

こうがいの語源については、国府方(こうがた)(村名、「南向茶話(なんこうちゃわ)」)、小貝(こがい)(郷名(ごうめい))又は後悔(こうかい)(以上「紫(むらさき)のひともと一本」)、香貝(こうがい)(村名)鵠居(こうがい)(以上「江戸鹿子(えどかのこ)」)、甲賀伊賀(こうがいが)(組屋敷名・「再版江戸砂子」)等の諸説があります。

 

参照URL:港区麻布地区町名由来板